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こんにちは My Space へ ようこそ ”風の道草” です
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きょうの問題は重い
blog ・ ( シベリア・抑留者 )
第二次大戦で中国(特に満州)に残った日本兵が敗戦によってソ連軍によって捕虜となり抑留されて多くの犠牲者がでた問題である。
ソ連軍はドイツが降伏すると同時に極東に大部隊を送ってきた、写真なんかを見ると輸送列車には大量の戦車が積まれている。
その時、日本軍の満州部隊は戦闘能力が極端に無かったと言われる、関東軍の主力部隊は南方戦線に送られたと聞く。
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ロシアにある日本大使館に旧ソ連軍が終戦後シベリア抑留された日本兵の新たな資料を届けて来た。
まだ、詳しい事は発表されていませんので分かりませんが、病気や怪我などで働けない元日本の兵隊さんを北朝鮮に移送した資料のようである。
厚生省によると、シベリアに抑留された日本兵は57万5000人とされ、日本に帰還できたのは47万3000人とされる、大雑把な数字に思えるが現実はもっと何名まで確認出来ている筈です。
ロシア現地で、5万5000人が犠牲に成っている。その他、確認できない抑留者が4万7000人いた。
今回、ロシアから提出された旧ソ連軍の資料は、行方の分からない抑留者問題が書かれていると言われる。
なぜ、北朝鮮に移行されたか、日本に帰還させる為だったのかは不明である。
日本大使館の話として、ロシア側から資料名簿が渡された際に、満州や北朝鮮に送られた抑留者は傷病者だった事が書かれている旨を日本大使館側に伝えて来た。
ソ連邦政府が日本兵を捕虜として抑留した行為は、国際法上違反である、にも関わらず長い間、日本兵を労働力として酷使して多くの犠牲者を出した。
ロシア人は未だにバルチック艦隊が日本に敗れた事を根に持っている、日本と韓国で開催されたワールド・カップ・サッカーの時、応援に来ていたロシア人がテレビのインタビューを受けた時、バルチック艦隊のお返しをと言ったのにはビックリでした。
確かに100年前の当時、ソ連のバルチック艦隊は最強の海軍と言われていて、それが、東洋の小国、日本の海軍に敗れた事はショックだったのでしょう、だから、今でもこのようなロシア人がいるのかも?
資料はロシア語で書かれている、調べるのに時間が掛かりそうだ、戦後60年になると言うのに、まだまだ未解決が多い問題である。
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2005年 4月 2日 -景趣-
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風の道草さん こんにちは 旧ソ連の 国際的に違法なシベリヤ抑留によって 犠牲になった多くの方々の話や アメリカの 残虐な 民間人を狙って 10万人を超える犠牲者を出した 東京大空襲をはじめとして 広島 長崎 への 原爆投下など 日本人なら 決して忘れることの出来ない問題です。